ミケハのブログ

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人生に優劣はつけられない。

この頃、人生に優劣はつけられない。という思いに捕らわれている。


●理由1:人生が未完である。
小説、物語、映画など、完結していないと評価できない。
まだ途中しか見ていない映画を評価できるか?
序盤はつまらなくても、中盤面白くなるかもしれないし、
ひょっとしたら、終盤に大どんでん返しが、ってのもあるかもしれない。


フランクルさんの言っていることも同じかと思う。
生きることに意味があるのか?と問うのは無意味である。
チェスのゲーム途中のプレイヤーに
「この一手は良い手ですか? このチェスに意味はありますか?」
と問うているのと同じである。
プレイヤーにしてみたら
「黙っててくれ、チェスを最後まで打たせてくれ!」
という話である。


●理由2:他の人生は味わえない。
例えば、果物のミカンを評価する時、ミカンを食べて評価する。
食べて甘い、まずいがわかる。
他の人生を経験してみて、自分の人生と比較できる。
だが、他の人生は、経験できない。
わかったつもり、とか、そういう感じだろう。というのは厳密には経験していない。
いや、案外、他の人生を経験してみたら、酸っぱいとか感じるかもしれない。


よって、他の人生と自分の人生を比較することは無理である。


●理由3:人生の基準が無い。
「何歳の時に何々して~」って世間やら、本やらがあるが、
それをやっても本当に幸せになれるわけではないし、
それをやったから優れているわけではない。


それを達成しても、一瞬の達成感や満足感はあるかもしれないが、
「こんなものか?」という感じで、
さらにキツイ基準か、別の基準に置き換わり、基準を達成することが不可能である。
または、始めに設定している基準は、他人が言っている事そのままだったりして、自分で設定していない。


●となると
結局、優劣はつけられず、自分の人生を生きるしかないのである。
「練習無し」の一回性。

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