「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」著者:夢枕 獏
巻の三にて、仏教の「空」について空海さんが言っていたのが印象に残った。
空海「逸勢が夕日を見て美しいと思う、それが”空(くう)”だ。
逸勢だけでも、夕日だけでも、成り立たない。」
(ちょっと、うろ覚えだけど。)
色即是空、空即是色
色=形、空=無い、なんて駐車場の空とイメージがダブってた。
形あるものは無く、無いものは形ある。
そんな認識で、終わっていた。
これは間違った解釈で、
仏教の「空」ってのは、森羅万象、喜怒哀楽、
言葉で現わされる事と、言葉で現わせられない事も、
全て含んで、全部だ。
自分が居なくても、世界は回るって訳で無く、
自分が森羅万象の中に動いているので、切っても切れない。
自分が宇宙の一部なんて考えで無く、
宇宙の中にいるので一部なんて規定できるものでは無い。
なんだ、もともと既に全部だった。