「迷いと確信」著者:山折 哲雄、アルボムッレ・スマナサーラ
仏教についての対談。
最後までお二人の話が噛み合わず、読んでいて気持ち悪かった。
知識の大家、本物に破れる。
よく山折さんサイドが、本の出版をOKしたな~。
山折さんの知識が全て、スマナサーラさんに否定され、
「言葉に捕らわれています。」
「日本語の誤訳でそういう意味ではありません。」
「南伝と北伝では伝わり方が違います。」
「その経典は、中国で作られたのではないですか、知りません。」
とけちょんけちょんに。
それでも、山折さんが自分の知識に固執し続け、うんざり。
表紙と裏表紙の写真の距離が、2人のわかりあえない溝を示しているようだ。
本の中で山折さんの横顔のドアップ写真などが突然挿入され、意味不明でさらに気持ち悪い。
山折さんが「日本の仏教が良い」と言っているのは名僧が居た時代の事だと思うが、
そこらへんの前提を言わないので、スマナサーラさんに「(今の)日本の仏教ダメでしょ」とバッサリ。
山折さんを理解している人がフォローして、スマナサーラさんとの話会いに橋渡しというか、もしくは、話の交通整理をする人が居たら、もうちょっと山折さんの顔が立っていたと思われる。
いや、本当にこの本を読むと、山折さんの本は読まなくてもいいやって思っちゃうぐらいマイナス宣伝。残念でならない。
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2018/05/18
あれから、引っかかって考え続けている。
スマナサーラさんの仏教は、長年鍛え上げらえた刀みたいな感じかな。
山折さん側の(日本の)大乗仏教は、色々理論が広がり過ぎて霧か霞ぐらいな感じかな。
大乗仏教を批判する例えとして、「お互い沼にハマっているのに、どうして他人を沼から救えるのか?」というのが記憶にある。
しかし、どちらでも救われる人がいるから、信じ続けられているのだろう。