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「こころの子育て 誕生から思春期までの48章」著者:河合 隼雄

子育てについての質問があり、河合さんが答える。
コギミ良く、質問と回答が進んでいく。


子育てで「物さえ与えておけば良い」という事は無く、心を込めて子供に接していないと、手痛いしっぺ返しがくる。家庭禅だそうです(笑)


本当に子育てって、自然相手。
植物と同じく、水をやり過ぎれば腐るし、やらなすぎれば枯れる。
しかも、子供一人一人が違うので「このやり方で良い」というような方法は無い。


あまりに正解を求めすぎて情報過多で不安になっている親御さんへ、「みんなも不安です。」と河合さんが助言する。


「親が無くとも子は育つ」が「親が居た方が育ち易い」、でも、サジ加減は難しい。


子育てに限らず、自分育てにも応用できるかな~?


印象に残ったのは(他にもいっぱいあるが)、
ある物書きの方が思春期の頃に「万引き欲求」があったそうで、小説を書き始めたら自然とその欲求が無くなった。
河合さんいわく、外部のモノを取り込んで学ぼうという一所懸命の思いが「万引き欲求」になっていたのではないか?


また、暴走族の暴走行為も、青年になるための「生と死の儀式」、イニシエーションになっている。(全部が全部では無いと思うけど)
大人になった元暴走族が「もう、あんな走りは恐くて出来ない」と言っているそうだ。


外面的には「悪事に見える行為」も、無意識的には隠されたり、曲がったりした「成長のための行為」という一面もあるのだな~、と驚いた。


次、問題の原因探しは意味が無く、これからどうするかが大事という話。
問題は、その人と周囲の人が変わらなければ、変わらないそうだ。
原因探しが好きな人は「原因がわかれば、次は避けられる」というが、それは出来ない。
原因と結果は、その人の生き方のパターンだから、と。
ビジネスの場でも「あるある」だし、自分の事でも後で思い返して「また、同じ失敗やってる!」なんて思う時もある。
ある程度、次に活かせる原因探しなら良いが、「原因を探して、その人に反省させて終わり」では意味が無い。
原因探して、納得して終わりにしがち。

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