ミケハのブログ

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神社での5円玉、私の解釈!

#所説あると思いますが、私の勝手な思い込みです。


神社に行って五円玉を賽銭箱に入れる。
よく言われるのは「神様との御縁(ごえん)を頂く」で五円玉。


その日、いつもの通り五円玉を財布から出して賽銭箱へ入れようとした。
ふと5円玉を見ると、稲の絵がバーンと目に飛び込んできた。


あれっ! これって稲だよな。
そういえば、神社って豊作祈願が多いだろうから、これって自分で刈りとった稲を収めるって意味では?


昔はお金なんてなかった頃、神社に収めるものは、自分でとった魚だったり、作物だったりするわけだ。
だいたい日本だとお米が一番大切だから、奉納もお米。
このお米の代わりに、五円玉に描かれた「稲」を刈り取った作物に見立てて納める意味もあるんでないかい。
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「神社に五円玉を入れる」って、いつ頃からそうなったのか?
五円玉のデザインが「稲」になった頃と、「神社に五円玉を入れる」風習が始まった頃が一緒タイミングだったら、この説はドンピシャだと思うけど。
ちょっとネットサーフィンしても、出てこなかった。
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で、話は変わるけど、
神様はお金や物なんてほしく無いはず。(神様自身がもらえないし。)
そうすると「感謝の気持ち」が一番のごちそうではないだろうか。


なので、賽銭箱って実はいらなくて、神様との間にあるのは邪魔でしかない。
参拝者と神様との間の心の交流を、賽銭箱という俗物で遮断してる恐れがある・・・かも。
そうなってくると「賽銭箱」は、通路の横か社務所の前に置いて、神社維持の「寄付金箱」という名前に変更するのが妥当では?
と妄想をふくらませてみた。いや、皆さん本気にしないでね。

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