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「対談 目から脳に抜ける話 (ちくま文庫)」著者:養老 孟司、吉田 直哉

面白かったぞい。


さて、
量子論てぇのがありますが、え~と、ざっくり言うと、
超ミクロの世界の粒子は、”物質”か”波”か、どちらかでしか観察できない、となっている。
両方の性質を持っているんだけど、観察はどっちかっていう不思議な現象。


上記の結果は、養老さんによれば、視覚(物質)か視覚以外(波)でしか世界は観測できないって言うのを現わしている。
結局のところ、人間は世界を認識する方法ってのは、五つの感覚、イコール脳でしか認識できない。
何にでも、学問を突き詰めていけば「人間は脳で認識してるよね~」って言うのが露わになるしかない。
どこまで行ってもお釈迦様の手の平の上と例えておられた。


うむむ、何だか皮肉な結果やね。


ここで妄想を膨らませると、第六や第七の感覚なんてモノがあれば、
「魔がさした」や「自分だけハズレくじを引く」とか感知できるんじゃないだろうか?
ひょっとしたら、日常のすぐ隣に地獄の口が開いているかもしれない。
ぎょぎょぎょ~、何て暗い気持ちやら被害妄想をしていたが、
そもそも、どう転んでも感知できんモンを恐れてもしょうがない。と正気に戻った。


追加の思考。
なんで、五つの感覚で、視覚と聴覚のメディアが広かったのか?と考えてみた。
視覚は、絵画で共有できる。
聴覚は、楽器などで共有できる。
味覚は、コックさんとか味を共有できるよな~。
嗅覚も、アロマとかで共有できる。
触覚も、マッサージなどは、気持ちいいを共有する。


視覚、聴覚は、ラジオ、テレビなど作られたから広がったのかな~。
ふーむ。


味覚は、毒。嗅覚は、毒ガス。触覚は、血がでる。とかとか。
味覚、嗅覚、触覚は死に直結する。
だから、そんなに広がらなかったのではないだろうか。
「視覚で死んでしまうが、味覚で死なないという世界」となれば、聴覚と味覚のメディアが広がったかもしれないな~。

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