ミケハのブログ

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「村上春樹、河合隼雄に会いにいく(新潮文庫)」著者:河合 隼雄、村上 春樹

河合さんと村上さんの対談。
いやー、面白かった!


ありきたりだけど。
芸術家は、何かをとらえているつもりは無いが、結果的に人の心をとらえる作品を書くので、売れているのだな~。
文化や時代の要請だったりする?!
というのも、村上さんのところに読者から「なんで私の事が書いてあるのですか?」と手紙がよく来るらしい。
うーむ。


さて、河合さんと村上さんって、よく似てる。
村上さんは、だいたいの話のスジはあるが、何かを出てくるのを待って、出てきたものを書いている。
河合さんは、クライアントから、何か出てくるのを待って、それについていく。
二人とも「無意識からの何か出るのを待つ」という仕事のスタンスが似ている。後、お二人とも人見知り。
なので、河合さんと村上さんの名前を隠すと、どちらが発言しているかわからなくなる・・・ような気がする。


印象に残ったこと。
・言語化すれば全部良いのかというと、言語化することにより、より深刻に傷つく場合もある。
・カウンセリングの場面で、最後まで問題が出てこずに終了したものもある。これも上記と同じく、問題が出てくれば良いという事では無い。最終的には、クライアントが他人と問題を起こさないレベルの社会生活が営めれば良いからである。
・クライアントが河合さんに言った「河合先生に会って最大の不幸は自殺できなくなったことです。」
・人を殺すことによって癒される人も居る。が、それをさせずに、他の癒す方法を一緒に考えるのが、河合さんの仕事。


最後に
村上さんが”はじめに”でも書いているが、村上さんの奥さんや他の人が対談にも参加されている場面があるそうだ。これは残念ながら、カットされてしまっている。
ぜひ、ゲストも加えた河合さんと村上さんの”対談完全版”がほしい!

「テーラワーダと禅」著者:アルボムッレ・スマナサーラ、藤田 一照

一照さんの”あとがき”にも書いてあるが、一照さんがスマナサーラさんにテーラワーダ仏教について質問が主な対談。
仏教の理解について、ボタンのかけ間違いを正していくような感じの対談。


仏教は「宗派を作った時点で、仏教では無い。」
色々な宗教の教祖さんは、実際、ソクラテスみたいな弟子たちに考える方法を教えたかったんではないかと思う。(まあ教祖になりたい人もいただろうが)
ブッダさんは「こう考えれば良いですよ」と言ったが、それは、本当にそうかな?と考えた上で受け入れるか、受け入れないか、選択できたと思う。


他、
仏教(禅?)の例えで「月をさす指の”指の方”を見ている。みんな月に行かねばならないのに。」というのがある。
月が”悟り”で、教えや経典、禅の形にこだわる などの”指”ばかり見てないかい?という話。


とある先生が生徒に、それを教えている場面に出くわしたスマナサーラさんが、心の中で「先生も指の方を見てますね」と。
そして、もしも月があるのなら、ロケットでもなんでも作って、月を体験させてあげればいいじゃないですか。と続ける。
裏を返せば、その月を体験させる方法は、テーラワーダ仏教にはある!という事ですね。
そこらへんが書けちゃうところがスゴイ!


テーラワーダ仏教、「する仏教」、知識だけでなく、実践も。

「気がつけば動物学者三代」著者:今泉 忠明

今泉さんの子供の頃から現在までの動物に関して体験したエピソードをまとめた本。
今泉さんの父、兄、息子が気がつけば動物学者。
父と兄の話はあるが、息子の話は最後にちょっとだけ。
「ざんねんないきもの事典」の監修。


漢字にルビがたくさんふってあるので、小学生(高学年ぐらいかな)も読めるようにしてあるようだ。


川口浩探検隊(古い!今は藤岡弘探検隊か)を地で行くお方。


富士山周辺の生態調査
イリオモテヤマネコ調査
二ホンカワウソ調査
イエティ調査?(笑)
なかなか、心躍る調査をされている。


調査は、罠を仕掛けて取れたものをひたすら標本にしたり、カメラを仕掛けてその対象が写るまで粘ったり、という地味で地道な作業。
作業も、細心の注意が必要なので大変である。


最後に「友達はいないが、仲間はいる」と同じ趣味やら仕事で語り合える仲間の良さを書いている。
あれれ? 本文中に仲間の良さが出てくる場面はあんまり無いような気もする。
何かあったん?

「明恵 夢を生きる(講談社+α文庫)」著者:河合 隼雄

明恵さんというお坊さんが夢の記録を残していたので、そこから夢分析を行ったものを本にした。
明恵さんは、法然さん、親鸞さんと同じぐらいの時代の人。


本の内容は、ランクが2ランクぐらい高すぎた。
もうちょっと、夢分析の本とかを読んでからの方が良かったな。
4~5日ぐらいかかったが、読む途中で眠りの世界へ何度か。


夢分析するにあたり、その人の置かれている状況、性格など情報を色々知った上で分析しないと、夢だけでの分析は「単なる夢占い」になってしまう。


明恵さんの場合、明恵さんの人物伝、その時の歴史など参考に夢分析されたそうです。


明恵さんがこんな状況に置かれていたので、こんな夢を見たのでは?と分析に、なるほど、なるほど・・・ZZZ、となる。


印象に残ったのは、
明恵さんが、日本の仏教や、お坊さん達に対して、かなり幻滅しており、「わし、インドで、本当の仏教を勉強してくる!」とインドに行こうとする。
「インドに行くな」的な夢を2度見て、かつ、弟子達にも止められたので、インドには行かなかった。
この時、インドでは、イスラム系の人達が幅をきかせて、仏教はほぼ無くなっていたそうです。
なので、明恵さんがインドに行ってたら、仏教に出会えなかった。
ユングの言う共時性が起こっている。
ふぇー、虫の知らせってやつかね。

「こころの子育て 誕生から思春期までの48章」著者:河合 隼雄

子育てについての質問があり、河合さんが答える。
コギミ良く、質問と回答が進んでいく。


子育てで「物さえ与えておけば良い」という事は無く、心を込めて子供に接していないと、手痛いしっぺ返しがくる。家庭禅だそうです(笑)


本当に子育てって、自然相手。
植物と同じく、水をやり過ぎれば腐るし、やらなすぎれば枯れる。
しかも、子供一人一人が違うので「このやり方で良い」というような方法は無い。


あまりに正解を求めすぎて情報過多で不安になっている親御さんへ、「みんなも不安です。」と河合さんが助言する。


「親が無くとも子は育つ」が「親が居た方が育ち易い」、でも、サジ加減は難しい。


子育てに限らず、自分育てにも応用できるかな~?


印象に残ったのは(他にもいっぱいあるが)、
ある物書きの方が思春期の頃に「万引き欲求」があったそうで、小説を書き始めたら自然とその欲求が無くなった。
河合さんいわく、外部のモノを取り込んで学ぼうという一所懸命の思いが「万引き欲求」になっていたのではないか?


また、暴走族の暴走行為も、青年になるための「生と死の儀式」、イニシエーションになっている。(全部が全部では無いと思うけど)
大人になった元暴走族が「もう、あんな走りは恐くて出来ない」と言っているそうだ。


外面的には「悪事に見える行為」も、無意識的には隠されたり、曲がったりした「成長のための行為」という一面もあるのだな~、と驚いた。


次、問題の原因探しは意味が無く、これからどうするかが大事という話。
問題は、その人と周囲の人が変わらなければ、変わらないそうだ。
原因探しが好きな人は「原因がわかれば、次は避けられる」というが、それは出来ない。
原因と結果は、その人の生き方のパターンだから、と。
ビジネスの場でも「あるある」だし、自分の事でも後で思い返して「また、同じ失敗やってる!」なんて思う時もある。
ある程度、次に活かせる原因探しなら良いが、「原因を探して、その人に反省させて終わり」では意味が無い。
原因探して、納得して終わりにしがち。