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「ほの暗い永久から出でて 生と死を巡る対話」著者:上橋 菜穂子、津田 篤太郎

何て暗いタイトルなんだ! しかし、何でか惹かれるものがあり、読んでみた。
上橋さんって、あの「精霊の守り人」「獣の奏者」の著者さんなのかー、と著者略歴で知る(遅い)。
津田さんは、聖路加病院のお医者さんである。
お二人の往復書簡。


「なぜ、生きているのか?」という問いもあるが、
「なぜ、生きているのか?」と、なぜ問うてしまうのか?も合わせて考えている。


上橋さんのお母様が、ガンでお亡くなりになる前と後の心境などつづった場面もあり。
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「なぜ、生きているのか?と考えることについて」
猛禽類(タカなど)が風力発電のプロペラで一刀両断されて死んでしまう。
その死に方全てが、上からのプロペラが当たりやられてしまう。
下からのプロペラでやられる事は無い。
タカは獲物を捕らえるために下を見るが、上は見ていない。
風力発電なんて大きなモノなのに、何でわからないのか?と人間は考えるが、それは人間側の考えである。


カンガルーが、車に引かれる。車はライトを点けているのに。
それは、カンガルーの頭に車が理解できないからでは?と予想。
自然の中に、車のようにタイヤでやってくる奴が居ないから、警戒できないのでは?という話。


上記と同じく、人間の頭の中も「考えの外」を考えられるような頭に変わらないと、「なぜ、生きているのか?」なんて問題には答えられないのかも?とお二人でやりとりしていた。


>コメント
幕末に、黒船が来た時、そこに黒船があるのに一般人には見えなかったらしい。
頭の範囲を超えたものは、そこに存在しても、人間には見えなくなるらしい。


また、”うろ覚え”だけど、
戦国時代の初期の頃、武将達は「公家が政治をする。武将はそのボディーガード。」という観念が支配していた。
織田信長だけが「武将が政治する」と初めて考えた人物で、画期的な思考の持ち主だった、と。


ここら辺の事例を並べると、地動説派が「天動説を受け入れられない」のも、わかる気がする。
固定観念を外すってのは、難しいものだ。
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「死に向かいつつある」
上橋さん、閉経、更年期、健康診断の数値でも正常値を外し、朝起きると手がお芋のようにむくんでいる、などから、死のスイッチが入った(死に向かいつつある)と感じる。


津田さんは、もっと大きいくくりで、人間のY染色体は、X染色体が欠陥して出来た。Y染色体は、じょじょに小さくなっている。人間、そして、人類全体も死に向かいつつある。


Y染色体は、いつか無くなる?!


>コメント
この話、以前テレビでもやっていた。
しかし、Y染色体がなくなっても子孫が残せるかもしれない、とテレビでは言っていた。
だけど、Y染色体がなければ、男が産まれない、男がすごい短命なんて、安易に想像できる。
となると、人類全体の絶滅のカウントダウンは、やっぱり、始まっているということか?
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「死とは?」
海は、恵みももたらすし、災害ももたらす。
これは「死」も同じではないか?と上橋さんが想像する。
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人間は、生きてる以上、生きることについて物語を作らずにはいられない。
その物語により、厳しい状況を受け入れられるようになっている。


ここらへん、河合隼雄さんも言っている「物語の力」に通じるものがあるな~、なんて、思って読んだ。
とりとめなし。

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