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「〈心理療法コレクションⅣ〉心理療法序説」著者:河合 隼雄、河合 俊雄(編)

河合隼雄さんと言えば、目が鋭い、タヌキオヤジ、話のバランスが良い、みたいな印象だった。
この本を読んで、人間「河合隼雄」の舞台裏を、ちょっと覗かせてもらったような気がする。


河合さんのエッセイなど読むと、話が過激な方に寄れば、すぐに元に戻す言葉を持ってきたり、ジョークにしたり、「バランスが良いな~」と思っていた。ヤジロベーみたいな。
でも、「白黒はっきりしてほしい」「この人、何の結論も出してないやん」って思う人もいるかもしれない。
それは、河合さんが長年臨床心理士として居たからで、絶えず「可能性に開いておこう」という態度だったのかもしれない、と思い始めた。


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極意:無意識で可能性に開いておく!(←できるかーい!)


ライオンに襲われる夢を見た人がいる。
その人に向かって「それは厳しい父親を投影しているのではないでしょうか?」なんて言ってみる。
その解釈をした時点で、わかった気になり、その先を考えようとせず、夢を見た人が本当に知らなければならなかった事が隠されてしまう。
河合さんは、そういう「当てはめごっこ」をして「わかった」と思われるのは、たまったものではない、とする。


「札付きの非行少年」とラベルを貼れば、そういう風に接してしまう。
その子は、ずっと非行少年ではありえない。将来はわからないのである。
その将来の可能性まで潰して、非行少年として接し続けるのはいかがなものか?


幼稚園で、おかしな子供がいるのでIQテストを受けさせた。
やっぱり、IQは低かった。なので、先生もずっとIQが低い子どもとして接し続けた。


そういえば有名な話。(ピグマリオン効果だったけ? 以下の話は、ちょっと違うかも)
「今度受け持つ生徒は、非行少年の集まりで手に負えない」と言った先生と、
「受け持つ生徒は、変わった子が多いが、将来、創造性を発揮できる生徒たちの集まり」と言った先生では、
子どもたちの成績が違ってきた。


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>言葉の覚え書き


クライアントの自然(じねん)を引き出す。


分離して名づけることが意識の始まり。


夢を聞く時は現実であることを忘れてはならないし、現実の話はイメージであることを忘れてはならない。


絵画療法や箱庭療法は、心の深層から自分を表すように浮かび上がってくる時のみ意味を持つ。


認識とは、創造している。


深層心理学の本質は「私の心理学」
私が他人のことでは無く、私のことについて研究する心理学なのである。
他人に適用すると変な事が生じてくる。


深くなるほど普遍性が高くなる。


自然科学における観察者と対象との関係と異なり、主観的なかかわりを大切にするのである。
同一化すると混乱、切断された客観性では分析は進展しない。


心は可能性に対して開かれ、相手に共感する態度をもちつつ、それらを全体として客観視する目を持っていないと駄目。


「客観的観察者」ではなく、その道を共にし、共感しつつ、自らも自分の心の深層に開かれた態度で接してゆくと効果的であることが明らかになった。


因果律的思考は「悪者探し」に終わる。


子どもの傍らで、期待を失わず、可能性を信じている事が遅いようで早い解決策である。


「科学は客観的心理と誤解されている。しかし科学は実存の世界(第一世界)を個人の心の世界(第二世界)が描いた社会的な表象(第三世界)にすぎない」ノーベル賞化学賞ピーター・ミッチェル
心理は、心の世界を個人の心の世界が描いた・・・二重性のため、複雑となる。


指導によって人間が簡単によくなるのなら自分自身を指導することからはじめるとよい、と思うが、それをせずに、子供の指導をしたがるのだからナンセンスである。


枠のない自由は人間を深い不安に陥れたり、無意識に自分を縛る枠をつくったりして、意味のある効果は得られないのである。


生きた人間を相手にすると単純で整合的な論理によっては事が運ばないのである。


秘密という事は両刃の剣であり、ある個人のアイデンティティを確立するために深く関わるものである反面、極めて破壊的であり、秘密を持っている当人や、その周囲の人を深く傷つけるものである。


スクールカウンセラーは「秘密」を扱うことによって周囲に相当危険な感情を味わわせている事をよく自覚している必要がある。


「問題児」というのは、教師や親に対して、解くべき問題を提出しているのだ。


与えられた環境の中で、クライアント自身がいかに自分の生きる道を自主的に見出してゆくか、それを援助する。


などなど、他にもいっぱい良い名言てんこ盛り。
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2019/03/25 追記
象徴的な自殺、他殺とアクティング・アウト。


アクティング・アウトとは、外部に行動が出てしまうこと。
自殺、人を殴る、人を殺すなどの行動に出てしまう。


子どもの時は親の言う事を聞いてれば良かったのが、思春期ではゼロから自身を構築しなければならない。
何だか今までの自分が壊れているような気分になる。(象徴的な自殺。)
その時、共感的に聞いてくれる人が居れば良いが、外部へ漏れ出てしまう事で自殺の行動になる。
と、私は読み解いたが、合っているかはわからない。


カウンセリングの終結間近に、箱庭や夢で、カウンセラーが死んだり、殺されたりする。
また、他の場面で、親も同じく殺されたり、死んだりする。
これは、憎くてそうなっているわけでは無く(中には、そういう事もある?!)、無意識が「これからは親やカウンセラーがいないモノとして、自立してやっていく」なんて決意の現れであるそうだ。


アクティング・アウトは、カウンセラーの共感力が少ない場合に起こってしまう。
医者が患者に殺された事件があったそうで、その医者は「心を開いている医者」だったそうだ。
心を閉じている医者だったら、こんな事件は起こらなかった、と。

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