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「宇宙には意志がある(クレスト選書)」著者:桜井 邦朋

1995年出版かー。
物理学者さんが書いた物理学の歴史の概要と、科学の在り方について書いた本。
スピリチュアル的な本では無い。
もう、24年も前だから、更新された論がたくさんあるはず。


で、生物学者の考え方が書いてあったのがへぇーと思った。
「知性」というのは生き残るための道具の一つに過ぎない。
例えば、牙/爪/甲羅/早い足/伸びる舌/カムフラージュ/群れでの行動/単独での行動などなど、知性もこの道具に並べられる。


たまたま、知性のある生物が世界にのさばっているだけであって、
「鋭い爪」を持つ生物が世界にのさばれば、その生物はこう思うだろう。
「この世にいる生物は全て進化すれば鋭い爪を持つだろう」と。


なので、恐竜やゴキブリが進化しても「知性」を獲得するわけでは無いかもしれない。
恐竜だったら、鋭い爪、牙、2~3日持つ胃袋とか、
ゴキブリだったら、もっと平たいボディ、早い足とか、
進化させる方向が必ずしも「知性」では無い。


それでも進化で「知性」がつくだろうと思うのは、マヨラーが全てにマヨネーズをつけたがる心理と変わらんのだろう。
(マヨラーをディスっているわけではありません。)


そう、知らず知らずのうちに「知性という道具がスゴイ」という色眼鏡をかけているんだなー、と気づいた。
夜のサバンナに一人で放り出されれば、木に登れる鋭い爪が欲しい、夜目がほしい、穴を掘れる手がほしいなど、知性は優先度が低くなるはず。
どう?

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