ミケハのブログ

日常の事など覚書。

★募集中★

サイドバー[カテゴリー・タグ]より、
ガイド拝見→[募集]ガイド拝見

「立花隆の宇宙教室」著者:立花 隆、岩田 陽子

いや~、もったいない。


1.立花さんと科学者の方の対談。
2.子供たちに半年間の授業、宇宙に関する事と、最終的に立花さんと討論まで目標。


主に上記の内容ですが、2を詳細に知りたかった~。
ページが少ない。


半年間の授業で、岩田さんがコーディネータとして奮闘。
目標があやふやなまま出発したスタッフ、先生達と共に進めた。
宇宙に対して、まったく知らない先生達と生徒達の授業。
立花さんと討論するため、生徒達にどのように知識を教えたら良いか?


色々な答えの無い難問を、どのように落としどころを見つけてきたのか?
そこらへんを書いてほしかたな~。
ドキュメントか、その期間の半年の岩田さんの断片的な日記とか。


他の学校で第2、第3の授業やってないか?

「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」著者:夢枕 獏

巻の三にて、仏教の「空」について空海さんが言っていたのが印象に残った。


空海「逸勢が夕日を見て美しいと思う、それが”空(くう)”だ。
逸勢だけでも、夕日だけでも、成り立たない。」
(ちょっと、うろ覚えだけど。)


色即是空、空即是色
色=形、空=無い、なんて駐車場の空とイメージがダブってた。
形あるものは無く、無いものは形ある。
そんな認識で、終わっていた。


これは間違った解釈で、
仏教の「空」ってのは、森羅万象、喜怒哀楽、
言葉で現わされる事と、言葉で現わせられない事も、
全て含んで、全部だ。


自分が居なくても、世界は回るって訳で無く、
自分が森羅万象の中に動いているので、切っても切れない。


自分が宇宙の一部なんて考えで無く、
宇宙の中にいるので一部なんて規定できるものでは無い。


なんだ、もともと既に全部だった。

あなたが世界をつなぎ止めている…と言っても過言では無い

※個人的な支離滅裂な意見である。


>自分が居なくても世界が回る(という植え付け)
学校という場所は、工場の単純作業労働者を育成する場所だ、というのをテレビで見たことがある。
・時間を守る。
・単純作業を続けられる。
・規則を守る。


私の学生時代は、上記でした。
授業中は、先生が黒板に書いた事をせっせとノートに写す単純作業を続けて、
時間を守り、有って無いような変な校則を守ったり、守らなかったり。


こういう教育を受けると、自分が「社会の取り換えの効く部品」みたいに感じる。
自分が居なくても、代わりの部品がいる。


それでは、別の事例として、才能ある者は一人だけなのか?というと、
ノーベル賞を取っている科学者、実は別の国で同じ発見をしている人が居て、
世間に広まる僅差で、その科学者が発見したことになっている事も多い。
これも、代わりの部品がいる事例に入るだろう。
と、まあ、今までは個性を無くす、取り換えの効く社会であった。


>あなたが観察することで、世界が固定される。
かなり前から、科学で量子論というものが出てきた。
ざっくり言うと、
超ミクロの世界では、観察していないと電波で、観察すると固定された物になる。
という、摩訶不思議な現象が発生している。


どこで起こっているの?というと、あなたがいる世界の超ミクロのそこかしこ全てで。


しかも、固定された物の出現場所も、率でしか現わせられない。
A地点には10%、B地点には60%、C地点には5%、・・・
で、観察してやっと、今回はこの地点に現れました!と固定される。


これ、今までの科学では、式で計算すれば「確実に出現する場所がわかる」という答えが無くなったという事に等しい。


Aさんが見ればA地点に、Bさんが見ればB地点に、
その時間、その人、その場所で、観察すると世界が固定される。
他の誰でも無い、あながた見たから世界が固定されたのである。
まさに一期一会。


この量子論が、いろんな場所(社会や学問)に浸透していけば、世界は一変するのでは無いかと思う。


>で、もうちょっとその先の世界へ
ガセネタかもしれない話。
「超能力はあるか?」というアンケートを教授Aと教授Bに取ってもらった。
教授は助手達を使って、被験者にアンケートを取ってもらった。


教授Aは、超能力肯定派。教授Bは、超能力否定派。
結果は、教授Aには、超能力を肯定するアンケート結果が多数収集され、
教授Bには、超能力を否定するアンケート結果が多数収集されたそうだ。


事例は一つだけだが、
自分の思いが世界とまではいかなくても、人間達の範囲には影響を与えている結果にならないだろうか?
「思考は現実化する」とか本があるぐらいだし。人間達の範囲ぐらいなら、思いでなんとかできるのかも。


と、まあ、とりとめもない事を考えていた。
-----
2018/09/22 すべて仮説の仮設で与太話かい!
超ひも理論、(10次元か11次元か)細かい物質では、次元がたたまれている。
3次元では接触していなくても、別の次元では何かに接触しているかもしれない。


日本で昔から言われている「言霊」なんてのも、(見えないけれど)別の次元では、その言った言葉が作用しているかもしれない。


以下の本のどこかで、超ひも理論が進めば超能力が解明されるかもと記載ありましてん。補足情報をつけてみました。SFかもね~。
「[新装版]正統竹内文書の日本史「超」アンダーグラウンド 1~3」&「[新装版]正統竹内文書 口伝の《秘儀・伝承》をついに大公開!」

「生きるってなんやろか?」著者:石黒 浩、鷲田 清一

アンドロイド研究の科学者:石黒さんと、臨床哲学:鷲田さんの対談。


この本では「他者がいるからこそ、自分というものが浮き彫りになる」という話。


「自分とは何か?」とは、自分では答えが出ない。
だから、他人と関わったり、関わらなかったり、ぶつかっていきなはれ。
と、若者を応援する。


個人的な意見だが
自分自身を知った風な感じで縮こまっていると、いつの日か魔が差すとか、暴発するとか、無意識の逆襲がありそう。


よくわからない、あいまいなモノと共に生きる。

「運命を拓く」著者:中村 天風

天風会員さん達しか聞けない内容が本になったのかな。
内容が聞けるのは、ありがたいです。


お釈迦様が最初に説いた内容と同じやね~、いやいや、別に類似を見つけたい訳では無く、「人間としての良い生き方」ってのはシンプルに同じなんだな~という事です。


それはそれとして、壮絶な人生を歩まれた中村さんが説くから皆聞くわけで、道端の見知らぬオヤジが言ってても誰も聞かないと思う。それとも、そこに真理があれば聞くのかな? と横道にそれた事が気になる。


・宇宙霊と共に、人間の進化、世界を良い方向に共同創造する生き方をする。
・「真」「善」「美」で生きる。
(宝塚でも「清く正しく美しく」ですね。)


しかし、本の全部が説教口調なので、読むと疲れます。
(何て言うと、怒られそう。( ノД`)シクシク…)


てな感じで、人生に「喝」を入れたい方は、読んでも良いかと。