ミケハのブログ

日常の事など覚書。

★募集中★

サイドバー[カテゴリー・タグ]より、
ガイド拝見→[募集]ガイド拝見

「出家の覚悟」著者:アルボムッレ・スマナサーラ、南 直哉

お二人の対談。
変なドアップの写真がページに入る事で有名なサンガの対談本。(勝手に私が思っているだけです。)


いや~、面白い! 読んで良かった。


南さんの少年時代は小児喘息で息が詰まり、昔は医者が適切な処置ができなかったので、死にそうになることが何度もあった。
そのため「死ぬとは、どういうことか?」を知りたかったが、周りの大人は「死んだらどこへ行くのか」という答え方しかしてくれず、歯がゆい思いをされた。
死とは何で、なぜこの現象が「生きる」というのか?、今は言葉に出来るが4、5歳の時に知りたかったのは、それだった。
正法眼蔵の一節を読んで、自分の考えている事に近いので、そこらへんを学ぶためにお坊さんになった。


むーん、私も「死んだらどこへ行くのか」を答えてしまう方の大人。


>以下、覚え書き(誤解釈あり)
日本の坊さんは、狭くて深い仏教の知識は持っているかもしれないが、生きる知恵までに消化できていない。
だから、説法などは「だらしない世間話」になる。


自分は何者でも無いから、どのような思考の家来になる必要は無い。


テーラワーダの組織には、内部批判がたくさんある。
弟子は師匠に向かって、バンバン批判する。
それがあるからこそ、外部からの批判でも、組織が崩れないし、壊れない。
自己批判の無い組織は脆い。


日本の社会はホームレス。
ハウスはあるけど、ホーム・家庭として機能不全である。


愛という単語を疑っても仕方ありません。これは輸入した概念だからです。
そもそも日本では、こんなだらしない愛はありませんでした。仏教で言えば慈しみですから。


>>生きるということが苦。
日本人の書く仏教入門だと、「生きるということが苦」の後、四苦八苦の説明が続いたり、ブッタの4つの門の話が続いたりするのだが、知識だけの羅列で腑に落ちなかった。
スマナサーラさんの話で、(すべては死の恐怖から逃れるため、という話だったが、)
赤ちゃんがお母さんのお腹の中にいれば、安全安心だったのに、生まれた途端苦しい。
息を吸うのは、酸素を肺に取り込むためで無く、息を止めれば苦しいから、息を吸う。
あらゆる動物が動いたりしているのも、苦しいから動いている。
・・・というような、色々な例え話をされて「生きるのが苦」が腑に落ちた。


アリとお前は一緒だから。


苦しいのは、失望するのは、あなただけではなく、人類みな同じであること。
あなたも私も同じ生きる苦しみを味わい、失敗ばかりの人生を過ごしています。
けれどもあなたと私の違うところは、
「あなたは生きる苦しみに対して怒り狂っている。人類に対して怒り狂っている。
私は『これが人生だ』と思って、冷静に落ち着いている。」ということです。
あなたは無知で私は冷静 ―― 違う所はそれだけです。


みなそれぞれ自分の苦しみに陥っているので、人を見下すほど余裕が無いのです。
苦しむあまり、人がやっていることで、こちらにも迷惑になることは多々ありますが。


「生きる目的は何でしょうか?」「何の目的もありません」


命は空虚。


違いを面白がろうと思う。


あるテレビで「なぜ仏像を見て手をあわせるのか」という質問に、「それは仏様ですから」と答えていた。
私から見れば「そんな形而上学的な心理など捨てなさい」と言いたいところですが。
(略)・・・私は差を喜ぶのです。


人生は苦しいものです。おもしろさを見つけなくては生きていけるものではありません。
自然におもしろいと感じると思ったら、それは間違いです。
自分のインスピレーションを使ってとことん物事を面白くするのです。

×

非ログインユーザーとして返信する