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「禅への鍵」著者:ティク・ナット・ハン

面白かったぞい!
禅について、昔から今までを広く浅く、そして、これからの展望をティクさんが語った本。
序は飛ばして、第1章から読んだ方が良いデス。


>公案解説集や禅僧の悟りエピソードは実際に活かせない?
「人が居ない山で木が倒れた、その音は聞こえるか?」みたいな禅問答の解説集を多数読んだり、禅僧の悟りに至るエピソードを多数読んだり、そんな知識を知ってても実際に活かせないのは、なんでだ?と思ったら、この本に答えがありました!


それは、知識や観念を増やしても意味が無いということ。
知識や観念を壊した・無くした・超えたトコロに行くのが、実際のゴール。
(いや、この言葉もまた観念を増やしているけど。)


なので、「犬に仏性はありますか?」の答えは、その人の知識/観念を壊せるならば「有り」だし「無し」。
師匠は、その弟子の個性を見極めて答えているし、または、弟子に合った公案を出している。
→失敗している例も多数あり。


>無常
無常というと無情と読み方が同じだから、「我関せず」みたいな境地なのかという印象。
しかし、ティクさんの解釈は暖かい。


例えば、蛇口から水を飲むとする。
まず、蛇口。鉄は山から採取され、工場へ運ばれ加工される。出来た蛇口は、業者が購入し、家に取り付ける。
水は、山に雨が降って、川となり、飲み水にするように工場を経由し・・・
という「蛇口から水を飲む」だけで、色々なモノが変化して、やっと自分の口に水が入る。
ここらへんの変化全部が「無常」。
となると、無常とは全否定では無く、全肯定。


同一のものはこの世に存在せず、絶えず変わるモノが目の前に現れている。


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途中、「意味がわからん!」トコロも有り、眠くなり、読むペースも遅くなった。
しかし、「第6章 人間性の復興」で、これからの人間が目指す方向を提案されているので、まあ、途中飛ばして第6章を読むのもいいかな~。

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