「ノブを壊した、アイツめ~」を考える。
職場のトイレのノブが壊れた。
同僚が持った時、壊れた。
設置年数を確認すると30年ぐらい経過しており、ノブがガタガタしていたので、誰が壊してもおかしくない状態だった。
で、
壊れた箇所を見ると「アイツめ~」と憎しみが湧いたが、これ自分が壊していたり、自然に取れていたら、「あー経年劣化だよな~」と憎しみの感情なんてなかった。
この感情の違いはなんだろうな~?と考えた。
何か、原因が責めてもいい対象だと、責めてしまうのかもしれない。
音、強風で木の葉がザワザワうるさいと「木を切ってしまえ」とは思わない。
自然のものだと、責めないのかな~。
>ヴィパッサナー瞑想
瞑想している最中に音が聞こえてきたら、すぐに「音」とラベルを貼って終わりにする。
風の音、暴走族の音、恋人の寝息の音、なんでもかんでも、「音」として終わりにする。
これを「暴走族の爆音がうるせー」まで考えを進ませない。
>情報も現象も全て中立
全ての情報、現象は全て中立だという。
そこに良いモノ、悪いモノと思っているのは個人でしかない。
個人にとって悪いモノでも、現象としては中立、色が無い。
>宗教
外国の話。
使用人を雇った。その使用人がほうきの柄にツボを引っかけて、壊した。
主人は使用人を怒ったが、使用人は平然としてこう言った「すべてアラーのおぼしめし」
>ガイドからのメッセージ
例えば、自分をかえりみると、
「力のかけ過ぎは、壊れる。少し力を抜いて」や、
トイレのドアなので「恥ずかしさに臆病になっていないか?」
というメッセージかもしれない。
しかし、全部の現象をスピにつけてしまうのを、オーラの泉で美輪さんが「因縁居士」と言っていたっけ。
てな感じで、壊れたノブで、色々考えた。