ミケハのブログ

日常の事など覚書。

★募集中★

サイドバー[カテゴリー・タグ]より、
ガイド拝見→[募集]ガイド拝見

「14歳からの哲学 考えるための教科書」著者:池田 晶子

池田さんの本を読むと、毎回リセットされる感、原点に戻る感がある。


14歳から、なんて書いておきながら本気です。
基本の基本から押さえて、考えを進める。


考えることが、ぐるぐるで、面白いのか、苦行なのかよくわからない。
答えなんて、あるもので無く、考え続けていく。


もう、新作のエッセイが読めないのが、非常に残念。

「六つの星星」著者:川上 未映子

川上さんの対談集。


心理学者の方と話している時、
川上さんのお母さんは、
無私、善意の方で、子供のために働きづめだったそうです。
そうなると、子供として、
「22歳でこんな贅沢して、母が22歳の時は、あんなに働いていたのに」
と思って、贅沢ができない。


母娘の間は、難しい。
昔読んだ心理学の本でも、娘を女のライバルとして母が見てしまって、
娘は自立が早いらしいとの事。
らしいけど、いやいや、100人いれば、100通りの母娘関係ですよ。


この本の時の川上さんは、
自分が子供、ましてや娘を持つなんて考えられない。
と言われていたが、
今は息子さんがいるようなので、
心境の変化があったのか、成り行きでそうなったのか、興味深い。


哲学者さんとの対談。
なんだか、本質というか、恐怖を感じた。


あとがきの文に感動して、涙が出そうになった。

「こころのチキンスープ 愛の奇跡の物語」著者:ジャック・キャンフィールド、マーク・V・ハンセン

元気になります。
これは、中学校か高校の教科書にしてほしいくらい。
社会に出てから、挫折、失敗などしたとき、参考になる。
アマゾンで見たら、8まで出てる!
さすがに、そんなに読めないか?

人生に優劣はつけられない。

この頃、人生に優劣はつけられない。という思いに捕らわれている。


●理由1:人生が未完である。
小説、物語、映画など、完結していないと評価できない。
まだ途中しか見ていない映画を評価できるか?
序盤はつまらなくても、中盤面白くなるかもしれないし、
ひょっとしたら、終盤に大どんでん返しが、ってのもあるかもしれない。


フランクルさんの言っていることも同じかと思う。
生きることに意味があるのか?と問うのは無意味である。
チェスのゲーム途中のプレイヤーに
「この一手は良い手ですか? このチェスに意味はありますか?」
と問うているのと同じである。
プレイヤーにしてみたら
「黙っててくれ、チェスを最後まで打たせてくれ!」
という話である。


●理由2:他の人生は味わえない。
例えば、果物のミカンを評価する時、ミカンを食べて評価する。
食べて甘い、まずいがわかる。
他の人生を経験してみて、自分の人生と比較できる。
だが、他の人生は、経験できない。
わかったつもり、とか、そういう感じだろう。というのは厳密には経験していない。
いや、案外、他の人生を経験してみたら、酸っぱいとか感じるかもしれない。


よって、他の人生と自分の人生を比較することは無理である。


●理由3:人生の基準が無い。
「何歳の時に何々して~」って世間やら、本やらがあるが、
それをやっても本当に幸せになれるわけではないし、
それをやったから優れているわけではない。


それを達成しても、一瞬の達成感や満足感はあるかもしれないが、
「こんなものか?」という感じで、
さらにキツイ基準か、別の基準に置き換わり、基準を達成することが不可能である。
または、始めに設定している基準は、他人が言っている事そのままだったりして、自分で設定していない。


●となると
結局、優劣はつけられず、自分の人生を生きるしかないのである。
「練習無し」の一回性。

朝の通勤電車でパソコンしてる人って何だ?

題名の通りである。
何だか、ついつい「俺って、仕事してるんだぜ」アピールに見えてしまう。
いや、仕事時間中にメール見えないぐらいの忙しさアピールなの?
誰に対してアピールしてるんだろう、この人は?って思ってしまう。


だいたい仕事の時間中に仕事をさばけないので、
単なる効率の悪い人とか、仕事できない人って思われますヨ。


例えばAさんが電車でパソコンして、Bさんが見ていると、
その後、仕事場で、
B「Aさん、電車でパソコンしてるの見ましたよ」
A「いや~、仕事が終わらなくてね~。通勤時間中もメール見てるんだよ」
とか、やりとりしたいん?! 
ある種の話のとっかかり作りなの?!