ミケハのブログ

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占い師の言葉で腑に落ちる、そして、自分の事は自分ではわからない

昔々(今も)飲み会が嫌いだった。
・酒が飲めない。
・料理がマズイ。
・話す事が無い。
・こんな自分が飲み会の席に居て、申し訳ないと思う。
・帰ろうとしても、強制的に居させられる。
・2時間拘束が拷問。
・上記なのに、4千円~6千円払わされる。


もう本当に飲み会が終わった時、死にたくなった。
何回か飲み会に参加した後、「もうダメだ」と思い、これからは「飲み会に絶対参加しない」事に決めた。


参加を断った。少しの罪悪感、でも、心の爽快感。


その後、すべての飲み会を断り続けた。いやー、心の平安。しかし、罪悪感。


ある日、占い師に占ってもらった。
「あなたは超マイペースです。」


むむ!・・・
おー! そうだったのかー! マイペースに超がつくほどのマイペース。
確かに、ペースが乱されるとパニくる。
話をするモードにスイッチを入れないと、全然話せない。
とても腑に落ちて、飲み会を断っていた「罪悪感」も吹っ飛んだ。
なぜなら、自分は超マイペースだもんね。


しっくり来るラベルが貼られると、罪悪感も後悔も全部吹っ飛んで、あーら不思議の腑に落ちた感。
なんでだ。


そして、自分は「自分自身は本当にわからないモンだな~」と、痛感させられた。
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どーやら、HSPだったようだ。
HSP特有の完璧主義が発動していたわけだわな~。
今頃気づいても、昔の自分は本当に死にたいほどキツかったわ~。

「対話師として伝えたい 全てのものに宿る魂の声 ダイジェスト・コミック版」著者:山内 ちえこ(原作)、小林 麻美(絵)

原作の方は、気になっていたけど、表紙から「創作かしら?」なんてスルーしてました。
マンガで見ると「へぇ~、こんな仕事なんだ~」とわかります。


世間で言われているような、結婚、出産、子育てが、本当にその人に必要なのか?
一人一人、本当の本質にそった人生とは、世間で言われている様なモノでは無い。
今の時代は「多様性が認められている」と言っても、まだまだ世間的に「この歳でこれをやっておかないと」みたいなモノはありますわな~。


本質にそって生きるのが大事!
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本の中に出てくるセラピー犬達が怒っている学校。
「日本でいちばん大切にしたい会社」シリーズを読んでいると、
この学校は、犬も物として見ていて、生徒からお金さえ取れればイイという利益主義の学校なんだろうな~、と推測される。
セラピストを育成していると言っても、本当に社会で通用するセラピストを育成しているのか疑問。


そういえば、私も10数年前、上記の様な心理カウンセラー養成学校に高い金払って通っていたんですよ~。
その時「心理カウンセラーに相談しても、根本的な解決にならん!」と、見切りつけました。
あのお金を貯金していれば・・・。
まあ、いい思い出です。
って、ぜんぜん違う話になっちゃったよ!
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原作も読んでみよう。

「日本でいちばん大切にしたい会社5」著者:坂本 光司

今回も面白かった!


>記憶に残ったこと
右目、両腕を失っても、新聞記者となり、
障害者の社会的な処遇を見るに見かねて、
社会的な弱者を受け入れる会社を立ち上げた方。


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不況により、会社は利益を上げていないが、ボーナスを出した。
女性社員が社長室にやってきて「ボーナスはいらないと言っているだろう」と社長に詰め寄った。
他の日、社員の奥さんが「夫がボーナスほしいと言いました? 家計をやりくりすればローンぐらい返せます」と社長に言った。
(もう、どんな会社だよ! お前たち最高だ!)


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>>明太子ふくや
息子さんが、明太子を創作した父親に「何で、ウチは元祖と書かないんだ?」と言った。
父親は「元祖と書けば、味が良くなるのか? そんな事を言ってるより、良い味の明太子を作る様に努力しろ!」と。
(シビレるね~!)


著者さんの静岡空港のエピソードと、味噌饅頭のエピソードも面白い。

「日本でいちばん大切にしたい会社1~4」著者:坂本 光司

一番大切にしたい会社のエピソードを紹介。
1冊に5~8社ぐらい紹介。
1社ごとに完結するので、どの巻でも、どこの会社からでも、読んでわかる作りです。


どの巻でも泣けるけど、4巻のランドセルメーカーの話が一番泣けた。
図書館で、涙流して鼻水垂らしているオヤジが居たら「それはワタスです」


さて、1巻は前半ページが理論的なモノになっているので、そこらへんはぶっ飛ばして会社エピソードから読んだ方が入り易いです。


もう、読んでしまうと、世の中が悪い、政治家が悪い、社長が悪い、上司が悪い、○○が悪い・・・なんて、言ってられません!
そんなに不満があるなら、理想の会社創っちまえばいいじゃん!


>心に残ったこと
「障害者を就職させてほしい」と養護学校の先生に頭を下げられる。
しぶる社長。「それでは実習だけでも、お願いします。この子たちに働く喜びを味あわせたい」
しぶしぶ了解する。
障害者を受け入れ、実習期間が終わる時、社員達が社長室にやってきた。
(ここは、読んで先のお楽しみ)


「先輩達がCADを使っているのを見て、3人で勉強したいので、3人で使い回すのでCAD一台を購入頂けないでしょうか」
「ダメだ」
なぜ、ダメなのかというと、1人1台CADを購入するから。
(心憎い! こんな事されちゃったら、CADマスターになるしかないよな~)


あれっ、心に残ったの、これだけなん。いやいや、他にもいっぱいイイ話ありますよ~。

お店のルールから、宗教的な修行までを考える

#単なる妄想的な考えです。


例えば飲食店で、創業者が
「スマホを操作していると、休んでいるように見えて脳は休まってない。うちの店内では脳を休ませるため、『スマホはご遠慮ください』とルールを決めよう」
と、お客様のためを思ってのルール決めたとする。
お店の中でスマホをしてても「お客様の緊急連絡かもしれないから、まあ良いでしょう」と軽めのルール運用。


でも、「スマホご遠慮ください」のルールだけが一人歩きして「脳を休ませる」という説明が無いと、店員の中では「うちでは絶対スマホ禁止じゃ! 他のお客様の迷惑になるからだろう!」と絶対禁止に解釈する人も出てくる。
すると、創業者としては「真の意味がわからずしてルールを運用しているなら、そんなルール運用はやめてくれ」となる。


話変わって、
お釈迦様は、色々な人達を教えていたが、その人の状態を見て、その人に合うように教えていたそうだ。
という事は、修行の方法も、各人に合うような方法が指示されていたのでは?と思ってしまう。


想像>各人の修行の支持
Aさん「私は、動いても良いが、黙っていなさいと指示されました」
Bさん「私は、しゃべっても良いが、座っていなさいと指示されました」
Cさん「私は、足が痛くて座れないので、寝ててもいいので、穏やかな心でいなさいと指示されました」
Dさん「私は、がっちり足を組みなさいと指示されました」


上記の話を聞いて、修行のプログラムをまとめようとするEさん。
「修行では厳しい方が修行になるだろう。”黙って””座って””がっちり足を組んで””穏やかな心で”修行しなさいと、お釈迦様は指示されました、と本に記載しよう!」


なーんて感じで、今伝わっている修行方法は、全然各人に合っていない方法が伝わっていたりして(笑)と考えた。
なんか、形骸化してしまっている事って結構あるんじゃないか?!