ミケハのブログ

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「ぼくは本屋のおやじさん(ちくま文庫)」著者:早川 義夫

この本を読むと、町の本屋さんの見方が変わります。


著者さんは、ミュージシャンを辞めて、本屋を十数年営んだ後、またミュージシャンに戻る。
本屋時代に書いていたエッセイをまとめた本。


たまーに名言があって面白い。
本屋は、本好きの前に人好きじゃないと出来ない。


なかなか、本屋業界の裏側が語られており、結構「なんじゃそりゃ!」というシステムがまかり通っている。
でも、これが、ベストでは無いがベターなシステムなんだろうね~。


>新刊がやってこない。
出版社→取次→本屋という順序で本が配布される。
この取次がクセもので、売り上げが良い本屋に優先的にベストセラーが配布される。


「売り上げが良い」となると、大型書店なわけだ。
例えば10冊あれば、取次→大型書店 7~8冊:小型書店 0~3冊みたいに配布される。
書店がたくさんあれば、当然、多数の小型店が0冊という配布になる。


注文してない本もどしどし送られてくる。
なので著者さんは、10箱来れば3箱を、その日のうちに返品にする事をしていた。
箱が来れば、整理、棚に並べる、返品などの作業で一日終わってしまう。
忙しいな~。


また、本が来るのも、5冊来て2冊返品したら、次は3冊しか来ない。これが3冊返品したら、次は0冊となる。


なんだか「なんじゃそりゃ」システムが満載。


他に、本の仕入れとして問屋や出版社に直接行って買ってくるという方法もある。
もちろん、欲しい本は、ほとんど手に入らない。
また、著者さんは車を持っていないので、電車で買い付けに行っていたそうだ。
背中に20㎏、前に20㎏、体はガタガタ。


>新聞で発売中なのに・・・
新聞で発売中の切り抜きを持ってきたお客さんのため、出版社?取次?(どっちか忘れた)に発注する。
「その本は、ありません。再重版を待つ状態です。また、再重版の予定もありません」
新聞に発売中って広告がありますけど?
「在庫を持っている書店のためです」


えぅえー!


>他の本屋で取り寄せられたけど・・・
取次に電話して「その本はありません」と回答。
お客さんから、他の本屋で取り寄せて買えましたと報告される。
何と、他の取次業者は在庫を持っていた。


>良い品揃えの町の本屋は、客が良いから。
というわけで、町の本屋では、客が本を買えば類似本をその本屋は入れたりする。
町の本屋の品揃えを見れば、どんな人達が町に住んでるか、予想できるかもしれない。


>その他
うちの近くにも町の本屋があったけど、10数年前に閉店してしまった。
本屋って、結構難しい。
いや、難しくない仕事なんて無いけどね。

「〈子どもとファンタジー〉コレクションⅣ 子どもと悪」著者:河合 隼雄

今回も面白かった。


補論3から読んで、面白そうだったら本文を読んでも良いかと。


子どもの問題行動(もしくは悪)と呼ばれる行為について、河合さんの長年の臨床経験から思う所を述べた本。
この本を読むと、子どもの「問題行動」や子どもの「悪」などの名称は全然合わない事がわかる。


子どもの問題行動は、
・自立的な行動の現れ。
・父親か母親の内面で抑圧しているモノを表す。
などなど、である。


問題行動(悪)を何でもかんでも禁止すると、大いなる悪を呼び込む場合もある。
許容できる範囲は許容し、しかし、これだけはダメだというのは全力で止める。
って、サジ加減ムズ!


>父親か母親の内面で抑圧しているモノを表す。


自らの真実を捨て白い羊のふりをする者よ
黒い羊を見つけ指をさして笑うのか?
「黒い羊」欅坂46


「対話師として伝えたい 全てのものに宿る魂の声」の著者:山内ちえこさんによれば、
子どもは「パパ、ママの人間的成長のお手伝いをするために生まれてきた」とも。


でも、問題行動を取っている子供なんて、父母にとっては脅威でしかないわなー。


また、学校のスクールカウンセラーが、子どもの問題行動が「父親か母親の内面で抑圧しているモノ」だったら、「もー、家庭の問題やん!」とお手上げじゃないか?
そこらへんは、自立するように持って行き、家族の影響を無くす方向かな。
だけど、頭で思い浮かべても実際はうまくいかないでしょう、また、これがうまく行く方向とも限らないし。
子どもそれぞれで、それぞれに合った方法を検討するしかないのだろう。
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今、思春期の方が読まれると、
自分が、もしくは、周りでどんな事が起きているのか、わかって面白いと思う。
ぜひ、参考に。

「増補版 僕はしゃべるためにここ(被災地)へ来た」著者:笠井 信輔

日本人なら必読の書と言っても過言では無い。
増補版の文庫版では、第7章、文庫版あとがきがあるので、こちらがおススメ。


フジテレビアナウンサーの笠井さんの東北地震での取材エピソード本。
取材をする上で、阪神地震、地下鉄サリン事件、竜巻、火事などの取材からの反省も踏まえて被災地に挑んだエピソードも。
現地で見た、聞いた、感じた人にしか書けないだろう文、臨場感あふれ、自分もそこに居るかの様に感じる。


レポーターなんて、野次馬で、のぞき見で、ゲスの連中だと思っていた。
また「取材なんかしているより、目の前の人達を助けろ!」なんて声もあるだろう。
しかし、取材を受ければ、
・必要な援助物資が届くかも?
・離れ離れの家族に対して、自分の存在がアピールできる。
・遠くの親戚が安堵する。
・募金の呼びかけにもなる。
などなど利点が多い。
現地での笠井さんも色々な葛藤を抱えながら、取材をする。


私は上記の事がわかり、今では「可能な限り複数の箇所へ取材に行ってほしい」という思いに変わっている。
だが、今回の東北でも、(阪神地震であった)支援要請が送信できた所に物資が届き、送信できなかった所に物資が届かない、という避難所格差は無くならなかった。


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・被災地ではヘルメット着用が本社からの命令だった。被災者はヘルメットを着けていないのに取材班だけヘルメット着用。もちろん、笠井さんも違和感を感じている。他の取材班がノーヘルメットで取材したが、その映像は使われなかった。
・食べ物の窃盗は起こっていた。しかし、「2日間何も食べてないんです」という人達に「窃盗はやめろ」なんて言えるか?
・取材車に水がある。また、車があるから使いたい。しかし、渡したり、車を使ったりすれば、他の局の迷惑になる。
 「フジテレビは援助してくれたのに、あんたの局は何にもやらないんだね」と。
・「人を見捨てて、自分だけ助かったんです」という被災者の言葉に、何と答えればいいのか?
・自衛隊の援助ヘリコプターも津波で使い物にならなかった。
 「この援助ヘリが動けば、助けられた命もあるのに・・・すみません」と涙ぐむ自衛隊員。


自分だったら、どうする?と様々な場面が突き付けられる。


自分が被災者だったら、ちゃんと葛藤を抱えている笠井さんになら取材されても良いと思う。


でででだ、やっぱり対岸の火事だと思っている自分が居るという事があぶりだされる。
読んだ後は、心が沈みます。


・・・この本は笠井さんの懺悔告白本でもあるのかもしれない。

「手で見るいのち」著者:柳楽 未来

我々は、眼が見えている事にあぐらをかいてないか?
見えている事に頼り過ぎてないか?
「見ればわかるだろう」で、視えなくなってしまった事が、どれぐらいあるのだろう。


あー、イイ本に出会ったなー! コンチクショー!
これだから本読みはヤメラレナイ。


全盲の生徒に生物を教える授業を取材した本である。


・授業の風景。
・全盲の生徒へ「生物」を教える授業が出来るまでの歴史。
・全盲の生徒が生物科や化学科などへの大学に入るための挑戦。全大学が受け入れ拒否の中、一つの大学が受け入れを決断。
・全盲の人、見える人が混じった「自然を楽しむワークショップ」の紹介。


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本の冒頭、全盲の生徒が動物の骨を触る授業風景から始まる。
「牙がアゴの中までくいこんでる」
「臼歯が大きい、肉食かもしれない」・・・
などなど、たくさんの豊かな言葉による説明と鋭い推測がとびかう。
なんじゃ、シャーロックホームズの集団か? それとも、FBI心理捜査官のプロファイリング訓練学校か?


驚きと共に、私は恐ろしくなってしまった。


「うざい」、美味しい表現も何もかも「ヤバい」と語集が貧困な子供たちよりも、何と豊かな言葉が話されている事か!
この子供たちが大人になったら眼が見えている人達なんて、それこそ本当に目じゃ無い!


全然、違う話になるが、
何もかも「うざい」とささくれている子に、親が「「うざい」という言葉は禁止、詳細に説明しなさい」と注意したところ、だんだんとささくれるのが無くなってきたそうだ。
言葉の省略は、心を貧困にするのかもしれない。
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全盲の生徒へ「生物」を教える授業を最初に作った青柳先生。
「近くに飛んでいる蝶の話もしないで、教室で遺伝の話をするのは、歪んだ生物の授業だ」(ちょっと言い方はうろ覚え)
観察しない知識だけの詰め込みは、おかしい。


青柳先生以前の生物の授業は、話だけの授業だった。
それを上記の思想から、自然にある葉や木、骨を触って観察する授業を創った。


それを体系的に授業に整理した鳥山先生。
それを受け継いだ武田先生。
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全盲の生徒を受け入れる事に決めた大学。


化学・物理は、分子・原子、宇宙など目に見えない世界も扱っている。
見えない世界を扱っているのに、眼が見えない事にどんな支障があろうか。


全盲の生徒を受け入れた後、大学院生の一人がサポートに入った。
大学院生は考える「数々の実験は、どういう意図でなされるのか?」
目が見えない人に教えるからこそ、原点に立ち戻って考える事ができた。
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全盲の人、見える人が混じった「自然を楽しむワークショップ」の紹介。


見える人が、ワークショップが開かれる前に公園を周った。2時間で一通り周れた。
ワークショップが開かれると、2時間で距離は10分の1しか進まなかった。
しかし、「この葉は、ちぎるとフレッシュな匂いがする」「葉がざらざらして、気持ちイイ」などなど、一つの木や葉に集中して感想を言い合う。距離は全然進まないが、味わい深い発見がグループで共有されていく。


普通の「自然を楽しむ」と銘打ったツアーは、全部ガイドが説明して終ってしまうが、上記のワークショップは、参加者全員が本当に参加して満足して帰る。
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学ぶって、なんじゃ?

「なぜ、この人と話をすると楽になるのか」著者:吉田 尚記

コミュニケーションのハウツー本、第一位を個人的に差し上げたい。
中学か高校で教科書として採用してもいいんじゃないか、ぐらい。
(内容は砕け過ぎかしら?)


著者さんを私が見たのはYouTubeで、
声優の杉田智和さんのマニアックなネタ(私も全然知らない)にちゃんとフォローが出来る上に、
MCとして進行もされており、「この人、すんげー」と思った。


しかし、
なんと、アナウンサーなのにコミュニケーション障害!
だからこそ、うまくコミュニケーションを取るには?を考え続けた。
そして、大失敗もしながら、ある程度の勝率が上がるコミュニケーション方法が出来たので、お披露目となったわけだ。


出来る人がコミュニケーションのハウツーを書いても、やっぱり出来ちゃう側から書いてる。
また、著者さん自身も本で書いてる通り、コミュニケーションのハウツー本は、出世するか、金を儲けるか、が大半を占める。


コミュニケーションの目的は、コミュニケーションである。


ある学者の論が出てくる。コミュニケーションは、「毛づくろい」と同じ。
情報を伝えるなんて後付けの論で、本当は「毛づくろい」の代わりである。
なんか納得。


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全盲の人は、器がデカい。


養護学校の先生に話を聞く機会があったそうで、上記の事を質問してみた。
「そう感じます。なぜなら、全盲の人は、人を100%信じているから」と回答(うろ覚えですが)。
著者さん自身が解説、人から「ここですよ」と言われたら、見る事が出来ないから、それを信じるしかない、と。


すごいな。
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途中、「えー! やだよー!」みたいな方法もあるが、それも最後まで章を読めば、なるほどな~と思う。
でも、勇気がいるけどね。