ミケハのブログ

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「羊をめぐる冒険(上)(下)」著者:村上 春樹

河合隼雄さんのエッセイの中で、この本が紹介されていたので読んでみた。
青年の悩み的な章で「何の欲も無い、羊男みたいなものも出てくる」と。
羊男、防衛ゆえの無欲なのかしら?


さてさて、
あー、「羊をめぐる冒険」が終わってしまった。


小説って、あんまり好きでは無い。
とても良い小説は「この世界が終わってほしくない」と思うし、
つまらない小説は「この時間を返せ!」と思う。


良い小説だと、同じ作家さんの出している本を全部読みたくなってしまう。
ちょっとしか出してなければ「次の本、早く出ないかな~」と思うし、
たくさん出ていれば「こんなに本を出さなくても」と思う。


まあ、つべこべ言わずに読めば良いのである。


この本は、推理小説のよう。
(文学のような推理小説もあるけど、その違いは誰が線を引いているのだろうか?)


もちろん、この本は”良い小説”の方でした。


★★ここからネタバレしますので、ネタバレしたく無い人は読まないでね★★
以下、妄想、無駄な想念、結論の出ていない考え。の覚え書き。


●誰も本名を持たない
勝手に思ったが「僕のアイデンティティー獲得(確立)の物語」なので、僕も含めて名前が無いのだろうか?
僕、女の子、妻、彼女、秘書、運転手、鼠。”名称”や”あだ名”のみが出てくる。
そういえば、「ジェイ」が出てくるやん、と思ったら「ジェイ」もあだ名だった。
猫だけが、初めに猫としか呼ばれてなかったが「いわし」という名前がつけられる。
年老いた雄猫、オールドワイズマン、猫は意識と無意識をいったりきたり。
結局、この物語は、自我獲得できなかったのかな~。
最後に名前が出てきたら、自我獲得が示唆されていたと推論できたが・・・。
やはり、開いたままで終わるからこそ、今後の妄想が広がるので良いのかな~。
今後、僕はどうしたのだろう。


●鼠だから羊を封印できた
十二支、子牛虎卯辰・・・。
時計に当てはめると、子が1時、羊が8時。
羊(8時)の反対の牛(2時)とかだったら、がっつりハマってしまったかも。
鼠は羊の正面からハズれていたので、あまり操られずに封印が出来たといえるかも。
それで言うと、特に明記されていないので妄想だが、羊博士(=虎)、先生(=牛)で鬼門が開いた?


●僕の女性性の統合
夢でのセックスなどは性的欲求が高いのか?と簡単に考えるが、
心理学で、異性性(男にとって、女性性)の統合、結合などの意味を持つ場合もある。
以下、僕の女性遍歴は、裏にこのような女性性が隠れているのかもしれない。


誰とでも寝る女の子(肉体的な女性性)
妻(社会(契約)的な女性性)
彼女(無意識とのつながりの女性性)


そして、”セックス”から”性交”へと表現が変わる時があり、僕の女性性の受け取り方が変化したのだろうか?


●彼女の3つの職業、高級コールガール、耳タレント、文書校正。
>高級コールガール
初めの「誰とでも寝る女の子」の上級版か?
体による収入を得る。体による社会的つながり。
>耳タレント
耳は、中医学で「水」のカテゴリー、生命力を司る。
>文書校正
言語、言葉、訂正、修正。


社会、生命、言語、これは、あんまり読めてない、とりとめが無い。


●巫女から男性シャーマンへのバトンタッチ
彼女は、予知能力みたいな巫女さんの能力を持っていた。
それが、山の中に入ると、頭痛がして能力が使えなくなる。
山に入る前は、アスファルト、ビルなど男性社会だったので、巫女さんとして生きていられたが、山では”母なる大地”となり、女性が嫌われ、男のシャーマン(羊男)へとガイドのバトンタッチが行われた。
母の怒りを買い、巫女さんの能力すらも奪われてしまう。


●彼女から能力が無くなった時の鼠のセリフ
鼠が「遅かれ早かれいつか消えるはずのものだった」と言っている。
河合隼雄さんのエッセイで、小学生ぐらいまで全能感があり、思春期(性のめざめ)で地に落とされ、混乱期が訪れる。
なんだか、それを指しているのかな~なんてこのセリフで思った。

「心理療法個人授業」著者:河合 隼雄、南 伸坊

南さんの質問から河合さんが答えて、講義が行われた後、南さんがレポートとしてまとめる。
そのレポートに対して、河合さんがコメントする。
南さんのレポート、プラス、そのレポートに対しての河合さんのコメントが1セットでいくつかの講義を収録。
レポートに対して、「それは違いますよ。」と河合さんが指摘している場面もあり。
うーむ、講義の全部が知りたかったわ~。


心理学の歴史の流れの概要など半分ぐらいのページで語られているので、いつもの河合隼雄節は少なめかな?


でも、これはこれで違う河合隼雄さんの一面を見れて良かったです。


読んでみて、こんなイメージを持った。
クライアントは「抑圧して見ない壁」があって、周りの人から見ると「あの人、何で変な動きしているの?」となる。
カウンセラーはクライアントと同じになって理解しつつ「何で、こんな動きするんですかね~」と問題提示し、クライアント自身に「こんな壁がありました。」と自力で発見してもらう。


もしくは、
みんな、個人個人で独自の人生のドリル(問題集)みたいなモノを持っていて、その問題には答えが無い。
その問題を解く方法は、他人の方法も参考になるが、答えが無いから、自分で回答を書き込むしかない。
でも、回答しても「本当にそれで良かったのかしら?」なんて引っかかり続ける場合もある。

「生きたことば、動くこころ 河合隼雄語録」著者:河合 隼雄、河合 俊雄

京都大学で、初めの生徒達のカウンセリングに対して?、河合隼雄さんがコメントした内容をまとめた本。
色々なコメントなので断片的です。
京都大学で代々生徒たちに受け継がれていたモノだそうで、なんか虎の巻みたいでイイです。
内容のコメントも、弟子の手品師へのネタのアドバイス集みたい。
「こころの処方箋」と似た内容もあり、エッセイの元ネタかしら。


河合俊雄さんが、はじめに書いていますが「勝負師」としての河合隼雄さんが出ていると。
(クライアントさんに失礼かもしれませんが)確かに将棋やマージャンなど対人相手のモノ全般にも、この本は参考になるのではないかと思う。


カウンセラーって、大変ですわ~。

「こころの処方箋 (新潮文庫)」著者:河合 隼雄

エッセイ。
カウンセリングの事例をまじえながら、家族や社会を話題にする。
第1話で、
心理臨床家をやっていると「会った瞬間心が分析、見透かされる」なんて思われるが、「心なんてわかるはずがない」という気持ちでカウンセリングしている。
「心がわかる」と思うと、途端に人の心が見えなくなってしまうのだろう。
なんだか、ソクラテスの「何にも知らない事を知ってます。」的な感じかな。


スラスラと読み易い。
フムフム、なーるほど、なんて読み進めて行くと、昔の自分が思い出されてきた。


その時は、とても憎い相手がいたのだが、その心を、ちょっと外から見ている感じ。
まだ、憎しみがくすぶっているが、でも、いつまでそれを引きずっているんだい?
結局、そういう風な思考が好きだからなのか、完了していないのか?
でも、憎んだことで、人生に彩り、というかスパイス的なモノが加わったのは確か。
結局、憎しみの心が好きなんかーい!


全然自分と関係無いような話がされているのだが、上記のように、一方で自己カウンセリングが行われているような不思議な気持ちになった。


他の本で言っていたが、「事例研究の報告を聞くことによって、自分の中で考えが深まる」って、こんな感じかもな~。
面白い!

「仏教が好き」著者:河合 隼雄、中沢 新一

河合さんの対談本で、たまに河合さんが質問者の役回りで「名前だけやーん」みたいな本がある。
この本も、中沢さんの仏教講座みたいな感じ。
最後の2割ぐらいのページで、やっと河合さんが対談者100%として登場する。


「仏教に期待している」というけれど、それが、今の仏教に対してなのか、昔の神仏習合の時の仏教か、鎌倉時代の変革された仏教なのか、うーん、読み解けませんでした。


河合さんが心理臨床家を長年してきて、日本人の無意識には「仏教があるらしい」。
よって、うわべだけの西洋主義を取り入れても、日本が変な事にはならなかったと推論。
それで、もう日本が曲がり角で大変なので、そろそろ日本製の新しい仏教か、仏教復活してくれませんか?ということらしい。


別に仏教で無くても良いのでは?と思うが、色々な新興宗教で問題があったので「仏教」とパッケージされていた方が日本人が受け入れやすいのかな~。
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そもそも、日本に「幸福」という言葉は無かったらしい。
「幸(さち)」
さ=境い目。
ち=霊的な力。
→境い目にある霊力を読み解いて恵みを頂く。
山幸、海幸、山や海の境い目の霊力を読み解いて、恵みを頂く。
「福」
福の神からの福。たくさんくれるけど、後が恐い。
⇒上記2つを合わせて「幸福」と造語して翻訳。外国語の本来の意味とは多少違うらしい。あと、字からすると、霊力だったり、神様だったり、見えない恵みなのね~。