ミケハのブログ

日常の事など覚書。

★募集中★

サイドバー[カテゴリー・タグ]より、
ガイド拝見→[募集]ガイド拝見

「ママにはなれないパパ」著者:鈴木 おさむ

妻はお笑い芸人の大島 美幸さん。
その間に産まれた子供との育児奮闘記。


自分の息子が他の子と比べて出来ない事に落胆した時の話。
鈴木さんのお姉さんは、障害を持つ次男さんがいる。
ある日「15歳でやっと一人でうんちが出来るようになった」とお姉さんから感激のLINEが入る。
障害のために、他の人と比べて絶望した日々もあったと思う。
それを乗り越えて、障害を引き受けて、この子と共に生きる。
お姉さんと、次男さんの覚悟と可能性。


他人と比べて焦るのは、なんと無意味なことか。


「いつでも、人は成長できる。」


他、子供を育てるのは、自分の人生の復習をしているようだ、とも。


どの話も面白く、どの話もタメになる。おススメ。

「カウンセリングを考える(下)(創元こころ文庫)」著者:河合 隼雄

カウンセリング中の恋愛感情。
カウンセラー自信がそんなのになったら、自分自身で心を整理できるのは当たり前。
そんな華々しい事にはならず、深い転移が起こっている時は淡々とカウンセリングが進んでいく。


カウンセラーとは、
クライアントが深い海の中で溺れているのを、一緒になって同じ深度に行って、溺れてみせて、
クライアント自身が深いところへ行ったり、浅いところへ行ったり、それにも付いて行き、
最終的にはクライアント自身が海面へ上がっていく自力をつけるのを待つ感じ。


助言やアドバイスをすぐにしたがるのは、クライアントと同じ深度に潜れずに、
すぐにカウンセラー自身の心が海面に上がりたい、自分だけ助かりたい一心で、
クライアントの心は深海に残したまま。


カウンセラーでは無い人も、読んでいて面白いよ!

「カウンセリングを考える(上)(創元こころ文庫)」著者:河合 隼雄

四天王寺で行われたカウンセリング講座をまとめた本。
一般人向けに講義されているので、読み易い。
20年以上前の講座であるが、今でも読みごたえアリです。


創元こころ文庫版では、巻末に岩宮 恵子さんの解説があり、
岩宮さんの体験と、現状のネット問題の紹介などもあり、お得?です。


「日本の悪いところと西洋の悪いところをミックスしたため、心の問題が起きている」と河合さんが表現されているところが印象に残りました。


社会、家族、いじめなど、事例を含めて講義されています。
親御さんが「月にもボタン一つで行ける時代に、問題を起こす子をボタン一つで治せないのか?」という風な表現をされているところに、情けないやら、うすら寒さを感じるやら。
しかし、実際に自分がその状況に置かれれば、テンパって、そういう風に思う可能性は無きにしも非ず。
うーん。


岩宮さんの解説を読みながら、LINEなど人とつながる技術が発達したが、以下の2点を妄想した。
①ヤマアラシのジレンマ
単に例えの話で、
ヤマアラシ同士が寒いため寄り添うと、トゲが当たりお互い傷つく。
かといって、遠ざかると寒い。
傷つけずに温めあえる距離を試行錯誤しながら行動する。
親しい人間関係を構築する時、こういう風な感じではないか?という話。


昔はトゲが、竹刀ぐらいだったため、そんなにケガをしなかったが、
今は、真剣ぐらいのトゲで、ヤマアラシのジレンマをしているのでは?


②ネット上は「悪意の加速装置」
例えば、会って話をしていた場合、
A「Cって、気持ち悪いよね」
B「そうだね」(あんまり、この話はしたくないな)
A(Bの顔色や雰囲気を感じ、話題を変える)「今度の休日どうする?」


これがネット上でやりとりされれば、安易に想像がつくと思う。
A>Cって、気持ち悪いよね
B>そうだね
A>顔も行動も気持ち悪いわ~
・・・Bに取っては、聞きたくも無い悪口を聞かされ、AはBも同意していると思っている。
(まあ、良く言われる話やね。)


ここらへん、自分の気持ちを表明できる西洋的自我が必要としていました。
でも、まるまる西洋的自我では無く、日本風にしないと意味が無いとも。


恐ろしい時代と取るか、チャレンジ溢れる時代と取るか。

「哲おじさんと学くん」著者:永井 均

「<仏教3.0>を哲学する」を読んでから、こちらを読んでみました。
仏教の理論が、抜け出していない事が説明されていて納得。


学くんと哲おじさんの対話で進めれる。
タイトルの割に扱っている内容が難しい。


哲学は、感情的、情緒的におちいらずに考えを進める。
宗教的課題を、科学的に考えいく作業。
想念を垂れ流すわけではない。


著者さんがはじめに書いているが、初めから終わりまで一文一文逃す事無く読んでいかないと、変な解釈になっていく。
単語の意味が、普通に使われている事と違う場合がある。
その単語が他の単語の説明に使われていたりするので、本当に一文一文逃さないように読まないと、迷路にハマっていく。


途中に「悟じいさん」が出て来て、仏教の話をしていくが、本編に戻ると単語の意味がわからなくなっている。そんな時、4~5ページ戻って「この単語は、こういう説明で、こちらの単語を説明しているから」なんて、戻って読む事がしばしば。
というか、「悟じいさん」邪魔!
まあ、悟じいさんが出て来なくても、戻って読み返す事がしばしばあったが・・・


さて、
哲学で変な造語が作られるのも、わかる気がする。今ある単語で説明すると、他の意味に取られるからである。誤って解釈されるわな~。


内容ざっくり、
自分が感じているというのは、自分独自のモノであり、誰にも代えられない。
なんで自分が感じているのかも謎である。
ゲフッ、挫折! もう読んでもらった方がわかります(笑)


全ページの2/3以降は、読めるんだけど話についていけなくなる。
もう少し、他の本も読んでみよう。

「〈仏教3.0〉を哲学する」&「生きる稽古 死ぬ稽古」

「〈仏教3.0〉を哲学する」著者:藤田 一照、永井 均、山下 良道


>私が捉えた概要(間違ってるかもよ)
仏教1.0:
悟りがあると説明して、修行をするが、だんだん悟りに達するものが少なくなる。


仏教2.0:
悟りなんて、みんな知らない。形式だけの修行をみんな一生懸命やっている。


仏教3.0:
そもそも修行の前提を説明していないと、正しい修行にならない。前提を教えた上で修行する。


仏教2.0の修行が「自我を強化する」ような事になっており、仏教3.0にて前提に「無我、無常」を頭に入れた上で修行しないと失敗する。


禅で「野狐禅になる」と言われ「師匠が必要」と言う由縁は、「無我、無常」を教える人が居ないと「自我を強化する」修行になるからかな。


本の内容は、わかる部分とわからない部分があった。何だか腑に落ちない。
「アップデートする仏教」や、永井さんの「哲くんと~」など著作を読んでから、また挑もうかな。
と思いながら、最後まで読んだら、永井さんのあとがきがすごかった。


(曲解、誤読してるかもだけど、要約すると)
この本で披露したことは、全て通過した後のモノであり、
思考の手順を踏むなら、ちゃんと関連した本を読んで考えてほしい。
仏教の教えは(一部、感心したものもあるが)幼稚であり、興味が持てない。
ただ、瞑想は効果があった。
-------
ほっほっ~、あとがきを読んでから、内容を思い返すと、
藤田さん、山下さんは、仏教3.0で瞑想、思考を実践すれば「うまくいく」で止まっていた感じ。
永井さんは、思考の先の先を考えている。


そこらへんが、3人での対談でのブレブレ感になっていたのか?
もうちょっと、他の本を読んでから、リベンジしたいと思う。


他、
「進んだ科学は、魔法のように見える」との言葉があるが、
「進んだ思想を言う人は、聖人のように見える」と連想してみた。


ーーーーーーーーーーー
「生きる稽古 死ぬ稽古」著者:藤田 一照、伊東 昌美


上記の「仏教3.0」を読んだ後で「あっ、一照さんだ!」と見つけて読んでみた。
上記の本より、読み易い。
冒頭、伊東さんの「全てが億劫になり、億劫穴(おっくうけつ)に入る時がある」とのイラストに、あるあると共感。


一照さんが、伊東さんに教える形で対談が進むので「わかる、わかる!」と読み進められた。


「生と死」とは、スタートがあってゴールがあるような直線コースでは無く、
紙の表が「生」、裏が「死」というように、どこでも生と死がある。


悩みとは、自分の枠にこだわっているからで、枠を外せば、悩みも無くなる。


なんか、ありきたりな感じになってしまったが、本では、もうちょっと感心できる様に書かれています。


一照さん的な見方に興味を持たれた方は、ぜひ。