ミケハのブログ

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ガイド拝見:ぴーすさん 2019/04/24 20:36コメント

2019/04/24
お申込みありがとうございます。ガイド拝見、受けました。
準備整い次第、拝見いたしまーす!
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2019/04/25
>ガイド拝見
・映像1
男性の水兵さん登場。白い制服(セーラー服)。
びしっと敬礼されました。


なんだけど、なんだろう。
目上に対する遠慮? 目上が苦手な感じがイメージされました。
でも、マーリン、上官の命令は絶対!


船の甲板で敵に備えて警戒。敵はいないけど・・・。
水兵「学ぶことは大切、実践も大事。海に出なければ、わからない事がたくさんある。日頃の訓練が大事。」


海はカモメが飛んで、のどか~。
(敵がいなくても、だらけずに訓練が大事ってことか?)


水兵「目標を決めているか?海に流されるだけになる」
私「他に何かありますか?」
水兵「体を大事に」
びしっと敬礼して帰る。


・映像2
分厚い本を持って言語学者が登場。
学者「言葉を駆使する。言葉に囚われる。中に入って溺れると溺れている事すら忘れる」
言葉がたくさん出て来て、言葉が海のように押し寄せて、全部言葉で埋め尽くされる。
ぎゃわわ~、言葉の海に溺れる~。


言葉が突然ぴたっと無くなり、中央にインドの行者が座って現れる。
(座禅(結跏趺坐)なのか?ヨガなのか?)
沈思黙考と言葉が浮かぶ。
行者「心の平安は誰にも訪れる。瞑想を学びなさい」
私「何か瞑想の方法はあります?」
行者「興味がわいた方法で良い。興味はあなたを誘導する」
私「まあ、好きでないと長続きしませんからね~」


・映像3
クマのぬいぐるみが2本足で立って、よちよち横切っていく。
なんじゃ?
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で、気になって調べてみました。
クマ:
「母性」や「権力」の象徴。
もしくは、
「野蛮な愛!」今までは眠っていた本能的な働きに気付けば、家庭や恋愛に大きな変化が…


しょーなの? でも、ぬいぐるみだから、なんにしろソフトな感じかな~。
何かピースさんにしっくり来る他の解釈があれば、それで!


で、全部に言える事ですが、特に心動かさなければ関係無しという事で。
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てな感じで、以上でーす。
ぴーすさんが本質的な流れにのれますように。

神社での5円玉、私の解釈!

#所説あると思いますが、私の勝手な思い込みです。


神社に行って五円玉を賽銭箱に入れる。
よく言われるのは「神様との御縁(ごえん)を頂く」で五円玉。


その日、いつもの通り五円玉を財布から出して賽銭箱へ入れようとした。
ふと5円玉を見ると、稲の絵がバーンと目に飛び込んできた。


あれっ! これって稲だよな。
そういえば、神社って豊作祈願が多いだろうから、これって自分で刈りとった稲を収めるって意味では?


昔はお金なんてなかった頃、神社に収めるものは、自分でとった魚だったり、作物だったりするわけだ。
だいたい日本だとお米が一番大切だから、奉納もお米。
このお米の代わりに、五円玉に描かれた「稲」を刈り取った作物に見立てて納める意味もあるんでないかい。
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「神社に五円玉を入れる」って、いつ頃からそうなったのか?
五円玉のデザインが「稲」になった頃と、「神社に五円玉を入れる」風習が始まった頃が一緒タイミングだったら、この説はドンピシャだと思うけど。
ちょっとネットサーフィンしても、出てこなかった。
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で、話は変わるけど、
神様はお金や物なんてほしく無いはず。(神様自身がもらえないし。)
そうすると「感謝の気持ち」が一番のごちそうではないだろうか。


なので、賽銭箱って実はいらなくて、神様との間にあるのは邪魔でしかない。
参拝者と神様との間の心の交流を、賽銭箱という俗物で遮断してる恐れがある・・・かも。
そうなってくると「賽銭箱」は、通路の横か社務所の前に置いて、神社維持の「寄付金箱」という名前に変更するのが妥当では?
と妄想をふくらませてみた。いや、皆さん本気にしないでね。

「僕のフォーカシング=カウンセリング:ひとときの生を言い表す」著者:池見 陽

池見流フォーカシング、実際のカウンセリング場面のやりとりも入ってる小説的な本。
面白かったぞい。


TRPG(テーブルトークアールピージー)という遊びでリプレイ本というのがあって、
脚本みたいな実際話した内容を「テープ起こし」し、遊んだ人のその時振り返った感想も入れたような本がある。
それに似ている。


そういえば、昔、フォーカシングの本を読みまくり、フォーカシングも実際受けてみた。
受けてみた感想は、お金払ってまでやらんでも、一人で出来るかな~という印象。


さて、
フォーカシングを受ける者はフォーカサー(=クライアント)。誘導する者はリスナーと言うらしい。


>池見流のリスナーの3条件。
1.自己一致。
2.存在を認める。
3.共に感じる、または、リスナーの心の中にもフォーカサーの感じている風景を描いてみる。


フォーカシングの本で「受容と共感」なんて書いてあるが、上記1のリスナーの自己一致が実は非常に重要。
また、受容は上記2だが、受け身的なモノでなく、「認める」というウェイトの方が強い。
共感も上記3のように、リスナーが能動的に自分の心にもクライアントと同じ風景を描く。
なので、リスナーがついていけない、描けない場合は、素直にフォーカサーにどういう風景か聞いてしまう。


そして、自分は統一されているような同一のモノでは無いという前提に立つ。
確かに、自分と言うてはみても考えると「自分」とはつかめない。
自分がいると言ってみても、もうその考えている「自分」はちょっと前の自分なのだ。
もう、0.3秒でも積み重なっている自分が居る。
となると、自分なんて規定はできないのでは?
スマナサーラさんが「我思うゆえに我あり」なんて、我なんて無いのに迷いのモトを生み出してバカだ、ぐらいな勢いで言っていたのを思いだす。


記憶により固定された思いを「言い表し」、動きをウナガす。
池見流フォーカシングは、静かでダイナミックなフォーカシングだった。
このフォーカシングなら受けてみたいと思った。

ガイド拝見:みんきさん 2019/04/19 14:30コメント

2019/04/21
今、確認しました~。すみませんm(_"_)m
準備して拝見いたしまーす。少々お待ちを~。
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2019/04/22
さっそくガイド拝見。
私「ガイドさん、居ますかー?」


>映像
「ガラスの女王」登場。もろさと美しさ。


私「本当にガラスなんですか?」
女王「ちゃんと肉体は持っています」


エカテリーナと名前が浮かんでくる。
「高貴さ」を持っている、磨けば光る。
美的感覚もあるはず。


>次の映像
海を上から見ている状態。
イルカが3、4匹で泳いでいる。
イルカの鳴き声、音として「カカカ」てな感じ。
「愛」とイメージされる。
何かの関係性なのかな?


>次の映像
雪山が、春へ。
雪の山が、一面の花畑へ。


>次の映像
ドラキュラ、人の血を吸う。

ガイドと言うより、血が足りなさをあらわしているのか?
血虚に効く食材でも。


>次の映像
コアラ。
ユーカリ(毒?)を食べても、分解する。
こちらもガイドというより「胃を鍛えろ」的なイメージ。
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てな感じで。
あれー、とっちらかってるな~。
何かの参考にでもなれば良いのですが・・・。


みんきさんが本質的な流れにのれますように。

「心の深みへ」著者:河合 隼雄、柳田 邦男

お二人の対談。
時間が飛び飛びで対談されているらしく、
柳田さんは息子さん(次男)が自殺され、それを乗り越えた後での対談だったり、ずいぶんと時間が経ってからの対談があったりする。


1ページ1ページ、何だか色々考えさせられて読むのが遅いのなんのって。


この先の日本は、効率主義、科学主義、個人主義、米国万歳などでは、ダメだって事がわかっているはず。
まあ、そんな国単位の大きな話はしなくても、「個人としての幸せ」ってやつは、メディアが刷り込もうとしている価値観や、世間や他人が言っているレールの上には無いわな~。
色々と自由になったからこそ、個人個人が考えなければならなくなった。
本の中でも言っているが、物が豊かである分、シャカさんが悩んで悟るぐらい、みんな一人一人が究極的な心の窮地に立たされている深刻度だそうだ。


個人個人が幸せを考え、個人個人が幸せになる世界へ。
もうひと踏ん張りだと思う。